「私小説 from Left to Right」から読み解く私生活 from East to West

Featured image

最近、バイリンガルやクロスカルチャーに関する児童書や文学にハマっておりまして、そこで日本初の横書き日英バイリンガル小説「私小説 from Left to Right」(水村美苗著)に出会いました。冒頭の頁から、いきなり英語ONLYの横文字世界。でも、あとはこちらにはらり、あちらにはらり、と軽いぼた雪くらいにしか英語は現れませんので大丈夫、中学生程度の英語でも読めるそうですよ。(結構、日本の中学英語って、読解の役には立つんです。)大学院時代、コードスイッチング(二言語以上の言葉を混ぜ合わせて使うこと、いわゆる「ちゃんぽん語」)のリサーチをしていたこともあり、(このブログでも取り上げてましたね)「こんなちゃんぽん小説があるなんて!」と軽くノボせてしまいました。(お風呂で読んでいたせいもある?)対訳付きのバイリンガル本なら結構ありますが、一つの思考の流れが日本語になったり英語になったりしている本ってのは珍しいです。(日本の歌謡曲にはありがちだけど)私の思考言語もちゃんぽん気味なので、こういう文章は自然に脳に染みる感あり。と言うわけで、ページをめくるごとに、いやおうなしに期待が高まっちゃいました!

さて、「言語と文化は切り離せない」とよく言われるように、この小説世界でも、ちゃんぽんなのは言葉だけではなく、文化もまた然り、でした。アメリカで十代から三十代までを過ごした日本人女性の半生記、私が共感できる部分が非常に多かったです。どんな内容かといいますと・・・「私小説」をleft to rightに綴る主人公・水村美苗(著者と同姓同名)は、十二歳の時に家族と渡米し、二十年間アメリカに住みながらもアメリカ人になりきれず、さりとて「モロジャパ」にもなれない大学院生。旧き良き日本に憧れ続け、日米どちらの現実社会にも踏み出せずに、モラトリアムに甘んじている。具体的に言えば、口答試験を先延ばしにし続け、大学町に住みながらキャンパスをも避け、アパートで引きこもり生活を送っている。加えて同棲していたモロジャパな「殿」にも去られたばかりで、篭る一人暮らしのアパートの空気の重いこと、重いこと。でも、この感じ、少しわかります。空気って、体や心を動かしていないと固まって、どんどん身動きが取れなくなるんですよね・・・。孤独ってある意味、自己責任なのかも。

そんな美苗よりも、もっと危なっかしいのは、二歳年上の姉・奈苗。見た目と振る舞いは、基本アメリカナイズされた上、インターナショナルな男性暦を経て、国籍不明の体を晒しています。彫刻家なれど彫刻だけでは食えず、バイトで食い繋ぐ生活。マンハッタンのSoHoのロフトに猫二匹と住んでいる、と言えばオシャレな感じもしますが、呑んだくれ無職DV男と同棲し、妹・美苗に電話でグチる毎日。面の皮厚いようで、泣き虫。自由奔放なようで、繊細。気さくそうで、ソノビッシュ。ミーハーなようで、保守的。日本人らしくないのに、日本に拘る。とまぁ、面白い人です。この姉妹、かなり両極端なんですが、どちらも私と似ているところがあるなぁ・・・

この小説の殆どは、姉妹にとって「渡米二十周年記念日」となった或る一日の間に交わされた、二人の“only you know what I mean”的日英ちゃんぽん長電話会話で占められています。数回の通話の合間に美苗の一人称の語りが挟まれて、二人の現状や過去が浮かび上がっていく、という構成。渡米記念日ということも手伝ってか、二人は感慨深げに日本での幼少時代の思い出や、互いのアメリカ順応(もしくは非順応)の歴史を語り合います。終盤に重い空気が入れ替わるようなカタルシスがあるといえばありますが、筋らしい筋はあらず、話を区切る章もない、不思議な本です。でも、私は筋で引っ張るプロット先行型の小説より、キャラやテーマ、または描写や表現で読ませる小説の方が好みなので、問題なし。キャラ的にも背景的にも共感度は高かったし、テーマはド真ん中に好みだったし、随所に「上手いな~」と思わせる文章があったし、字ズラに拘っているところも、詩的で素敵。ってなわけでワタシ的には、かなりハマりました。湯船のお湯が冷めても、読みふけっちゃったほど。

長~い前置きになってしまいましたが、いよいよ「私小説 from left to right」、略して「しレラ」(←略し過ぎ)に、様々な角度から切り込んでみたいと思います!(ネタバレを避けたい方は、ここまでにした方がいいかもしれません)(というより、ここまで読んでくださった奇特なあなた、ありがとうございます。覚悟あらば、ここからもご一緒しませう。)

I.渡米の動機と順応力の関連性

共感したと言いながら、相違点の「違」から語るのもなんですが、同じように十代で渡米して約二十年近くアメリカ暮らしをしてきた美苗と私には、多くの違いがありました。まずは、美苗の「受動的な渡米」 と私の「能動的な渡米」、そして、美苗の「日本への回帰傾向」 と私の「アメリカへの順応傾向」ですね。そして渡米の動機と順応力の間には関連性があるようで。「上昇志向がそのまま西洋指向につながったような」両親に連れられ渡米した中学生の美苗は、最初のハネムーン期こそは「アメリカの豊かさを自分の豊かさのように」誇っていましたが、すぐに夢に見るまでにも日本を恋い偲ぶようになり、アメリカに連れてこられた自分の運命を疎うようになります。それなのに、二十歳になるまで再び祖国の地を踏むこともできず、「日本人であることの証を日本語に求めて」、日本近代文学を読みふけるようになるのです。しかも「いつか日本に帰るのだから」と英語を学ぶ必要性は、全く感じていない。その結果、彼女の性格には釣り合わないような変人(?)にしか相手にされないソーシャルライフを送り、彼女の知能に釣り合わないようなアカデミック評価を受けるという不毛な小・中学生生活を送ります。(歯痒いわぁ)

私の場合はと言えば、自ら好んで単身留学をし、いずれ日本に帰ろうとも思わず、バカにされてなるものかとサバイバル英語を身に着け(サバイバル英語で満足してしまった感はあるが)、早く現地人の親友やBFを持とうと躍起になっていたのでありました。かといって、日本文化を疎んじていたというわけでもなく、日本人留学生仲間と、トレンディドラマ(既に死語)の一気観をしていましたし(今もしてるか)、一年に一度は日本に里帰りしていましたから、それほど望郷の念に胸焦がれることもなく、アメリカ生活を送れたのかもしれません。アメリカと日本両方の若者文化を吸収しようとした所は、姉の奈苗に似ているかも。それに、自分の決断で来たせいか、美苗のような「連れて来られた」的被害者意識や、「アメリカに来てなけりゃ、今頃私だって・・・」的たられば思考も、なかったですね~。これは過去に受け持った、駐在員の子どもと単身留学生の間にも見られた違いです。でも駐在員の子どもでも、「どーせアメリカに住むなら、楽しんで、頑張って、得られるもん得たる!」と開き直った生徒は、強くなっていきましたね。被害者意識のあった子どもは伸び悩んでいたし。やっぱり、「変えられないものを受け入れる力」は、大事です!

II.言葉を通じての祖国とのつながり

最近、私の教える補習校の卒業生達が、ノートいっぱいに漢字を書いたりして、アメリカにいても自分は「日本人だ」という意識を保っていると聞いて、「へえ、そんなことするんだ」と感心していたのですが、いましたよ・・・ここにも似たようなことしてる人が。現地校の授業中に、写経のごとく日本の住所をノートに書いたり(しかもコダワリの縦書き)、ひらがなの美しさにウットリしてみたり、果てには高校の授業をサボって、日本の小説を読みふけったり。(良い子はマネしないよーに!)そんな美苗の言い訳(?)は、「私は日本人であることの証しは血にはないことを知るようになった。以来私は寝ても覚めてもそれを日本語に求めたのである。」こうして健気な古文オタクが出来上がっていったのでした。チャンチャン♪

渡米後、日本語に日本とのつながりを求めた所は美苗も私も同じなんですが、彼女はそれを日本近代文学に求め、私はそれを現代の音楽・ドラマ・小説・ネット等に求めたという違いもひしひしと感じました。片や美苗は「企業」は読めなくても「美人局」(「つつもたせ」と読むそうで)を何と読むかは早々と学び、対する私は「ぶっちゃけ」や「~っすか」といった表現を覚えていったというわけです。初の日英バイリンガル小説と謳われる本書ですが、実際は英語より古文の占める割合の方が高いかも。「No, no.もっと古風に。――われ叫びいでん、懷かしきわが國よ、わがふるさとよ、われ今おんもとに歸りきぬ…」ってな具合に。ある意味トライリンガル小説かもしれないわ、これ。日本の高校で国語を学ばなかった私には、古文のほうがまるで外国語のようでしたよ、正直言って。私にとって一番身近な古文らしきものは、椎名林檎の擬似古文調歌詞かもしれん・・・こんな「なんちゃって日本人」で大丈夫なのか?私。

III.アメリカ社会との共通語

ところで、この小説にはアメリカ文化を語るには欠かせないはずの宗教の要素が不思議なほど皆無なのですが、私がクリスチャンであることも、宗教を持たない(と思われる)美苗との大きな違いでしょう。言語は変われども、同じ讃美歌や聖書物語という「共通語」があり、同じ信仰という共通の宗教的かつ文化的価値観があったことは、ラッキーだったと思います。これまで、カナダ、アメリカ、そしてアフリカに移り住んできましたが、同じ宗教ベースのコミュニティーだったためか、国境は越えても遠い親戚と付き合っているような、どこか地続きみたいな感覚がありました。(もちろん他にも信仰を持つ利点はありますが、それはいずれまたゆっくりと。。。)

ですから、アメリカ人と宗教という共通語を分ち合わなかった奈苗と美苗が、「万国共通語」とも呼ばれる音楽や芸術、また第三外国語の分野で、アメリカ人と同じ土俵に立とうとしたのかもしれない、というのは私の深読みのしすぎでしょうか?英語の勉強よりも、絵を描くことやフランス語の勉強に熱心な美苗。ピアノや彫刻や自らの性を通して、自己表示を試みる奈苗。言葉以外にも、使える武器はたくさんありますものね。ある人にとって、それはスポーツだったり、歌だったり、料理だったりする。世界との共通語とは、すでに自分の中に培っているものなのかもしれない。・・・もし、言葉を剥ぎ取られたら、あなたは何で勝負に出ますか?

IV.在米アジア人の溶け込み度、ところ変われば

同じアメリカに暮らすと云えど、アメリカは広し、です。水村一家は渡米直後にニューヨークに家を構えており、NYで育った娘達は東海岸の大学を卒業してからNYに戻ってそれぞれ一人暮らしをしている。そんな美苗が奈苗に、こう言う場面があります。「Californiaに育ったらもっとアメリカにとけこめたじゃない。・・・今ごろアメリカ人になってたかもしれない。」二十年間東海岸でしか暮らしたことのない姉妹の想像の中では、カリフォルニアのアジア人達は「私ダッテアメリカ人ヨ!」的顔で歩いているのでしょう。確かにここカリフォルニアにはアジア人が多い。でも、顔つきは様々です。「アジアの遺産」としてナショナル・ジオグラフィックスの表紙を飾れそうな誇り高い顔、「受け入れてもらえますかね」的心もとない顔、「私ダッテアメリカ人ヨ!」と気張っている顔、もはや自分が溶け込んでいるかどうかさえ意識することもない地元顔、などなど。私はどんな顔をしているんだろう・・・カリフォルニアに移って三年目、最近では日本の店の店員に日本語で話しかけられることも増えてます。(笑)

この十八年の間に、カリフォルニア、ミシガン、バージニア、そして再びカリフォルニア、と移り住んできた私も、アメリカのどこに住むかで外国人に対しての視線が違うのは、肌で感じてきました。州によって、雰囲気もまるで違いますしね。確かにいま私が暮らしているカリフォルニアでは、アジア人を見慣れているせいか、妙な視線を感じることはあまりありません。(田舎では違うらしいですが)ただ白人にとってアジア人はみな同じように見えるらしく、どこの国から来ていようと、何年アメリカに暮らしていようと、いつまでも総まとめにone of themとして見られている感はありますよ。でも、私の目から見れば、FOB(fresh off the boat=渡米ほやほや)から代を重ねた移民まで、こんなに歴史の厚みを感じるアジア人生存地帯は、アメリカ広しと言えどもそうありませんって。顔つきも服も立ち振る舞いも違う。もう、在米アジア人図鑑ができちゃいそうな面揃えかも?

カリフォルニアに移る前は、建国の父と呼ばれる政治家達を多く輩出したバージニア州に二年住んでいました。就職活動で初めてバージニアに行った時には、おったまげましたね。すでに十年以上米国暮らしをしていた私でも、「アメリカの別の顔を見た!」って感じでした。レストランに入ったら、客はみんな白人で、半分くらいはカーボーイハットやらカーボーイブーツやら履いたおっちゃんで、バリバリ南部訛りで、「よそもんが来たぞ!」的目で見られて。(まだdeep southじゃないのに)そしてその学校創設以来、初めての非白人教師となった私は、「英語は変だけど、先生愛してるよ」と言われたり(苦笑)、村上春樹氏の「卵と壁」スピーチを授業で紹介したら、「自分が日本人だからって、日本人作家を紹介するなんて、先生はレイシストだ。」と生徒に言われたり、(そもそもレイシストの意味わかってるのか?)同じ年度に雇われた韓国系アメリカ人の先生に間違われ続けたりしましたっけ。この先生についても、「○○先生は、英語うまいよね」と生徒が話しているのを聞いたけど、その人アメリカ人ですから!(まぁ、日本人なのに、タレント・ショーでアフリカ踊りを披露した私は、かなり異色であったと思われる・・・)それから、バージニアには植民地時代や建国時代や南北戦争の名残があちこちに残っていて、記念碑やら南軍の旗やらよく見かけたな~。毎年、近くで南北戦争の再現劇をやってたし。まぁ、一言にバージニアと言っても、DC寄りだとメトロポリタン・カルチャーで、ウエストバージニア州寄りだとレッドネック・カルチャー。私がいたのは、もちろん後者。男子は狩で鹿を射止めれば一人前と認められるらしく、狩について書かれた作文が幾つも提出されたのが印象的でした。そういう世界がまだ残っているんだ、と感慨深かったっけな。開拓者精神よ、永遠なれ。

更にさかのぼると、バージニアの前には中西部のミシガン州に十年と一番長く住みましたが、留学生の多い大学のキャンパス近辺や日本人の多い街に住んでいたせいか、そう物珍しげな目では見られませんでした。(これも、田舎では違うらしい)でも、私の元ルームメイトのフィリピン系アメリカ人の友人は、よく「どこの国出身?」と聞かれ、「シカゴよ」と答えると、「え、外国じゃないの?」的ケゲンな顔をされていました。(訛りも全くないのに)これは、アジア系移民の歴史がカリフォルニアより短いせいかもしれないし、留学生の多い地域だったからかもしれません。(でも、カリフォルニアでは、こんな反応をするアメリカ人はあまりいないと思う。)それから、学生から社会人になってからの方が、外国人扱いを受けることが増えた気もします。大学における留学生の割合より、社会における外国人雇用者の割合が圧倒的に低いから、当たり前か。でも、かなり違和感あったな~、当時は。同僚に「どうしてそんなに遠い国からミシガンまで就職しに来たの?」って聞かれましたが、卒業した大学からは車で一時間くらいしか離れていない学校だったので、全然遠くに来た感覚なかったです(笑)。

なんだか私のアメリカ体験談になりつつあるので、「しレラ」に戻りますが、美苗も奈苗もアジア民族ひとっ括り扱いには、大いに違和感があったようで、泣いたり赤くなったりと激しい反応を起こしてましたね~。確かにアメリカに来てから、他のアジアの国々との関係について考えさせられることが、増えました。日本は、アメリカにとってもアジアの諸国にとっても敵国だったことがあり、他のアジア諸国とはひとくくりにはできない微妙な立ち位置ですし。その辺を、成長するにつれちゃんとわかってきた美苗には、好感もてました。それから、奈苗の「みっともない人だって思われるの、みっともない人種だって思われるより気楽じゃない」というセリフにも、妙に腹オチ。アメリカにいたらね、やっぱり頭のどっかでそういうこと意識してるわけですよ。ちょっぴり国を背負ってる感が、ある。でも、日本だったら、会社や家を背負っている意識がもっと強いでしょうから、どっちもどっちなのかな。何にも背負ってない個なんて、ないのかもしれません。

V.教師像に学ぶ

この本には魅力的な教師が多く登場します。未だ社会に出ていない美苗にとって、教師の存在は大きいものだったのでしょうね。アメリカで理不尽な想いをしてきた美苗ですが、教師との出会いには恵まれていたようです。いえ、実際には酷い先生もいたかもしれませんが、彼女が記しているのは、美苗の才能と本質を見抜き引き上げてくれた先生や、自分の教える分野に誇りを持っている教師ばかり。教師たるもの、かくあるべし!だな。

まずは、中学のESL(英語が母国語でない生徒のための英語のクラス)の先生、Mr.Keith。美苗の拙い英作文に文才を認め、ESLクラスから優等生クラスに、引き上げてくれた先生です。(正確には、ESLとHonorsの両方をとるようにアドバイス)高校時代、いつESLを抜け出せるかとアクセクしていた私、そしてその十年後には高校でESLを教えていた私としては、身につまされました・・・私の高校時代には、これでESL終了!という明確な判断基準はなかったため、かなり不満がありましたっけ。そして私が教えていた高校ではTOEFLが基準でしたが、それが最善の判断材料だったかというと、疑問もありましたね。・・・ま、話をMr.Keithに戻しましょう。彼がESLクラスを教える時と、優等生クラスを教える時では、全く違う顔を見せるくだりは、興味深かったです。でも、どちらのクラスにも入ってみたい、と思わせるところが、さすが。そして、美苗が高校に進学する前のアドバイス、”Don’t forget your Japanese.” にも、愛を感じましたね。(”your”が入っているところに、グッとくる!)

お次は、高校の美術の先生、Mr.Shermanです。当時は珍しかった黒人の教師で、白人社会に迎合せず、黒人として、そして一人の芸術家としての誇りを持って、高校生の「アートはeasy A」的認識をビシバシと張り倒していく先生でした。(カッコええ)それと比べて、私の教えたアートクラスは、かなりお気楽なものでしたがね。Mr.Shermanと比較すると、アーチストとしても私は未熟なもんで・・・方向性も表現法も、まだ確立されていない。(ションボリ)それから、非白人同士の連帯感についてのエピソードにも、「あるある!」って感じでした。この先生に出会い、美苗はアート系の大学に進むことになるのでした。

その後、大学院では仏文学を専攻した美苗。ここでも強烈キャラ達が現われます。まずは、イスラエル系の仏文科のアドバイザー、Madama Ellman。大学院を卒業した後に日本に帰るという美苗に、「故郷は戻るべき場所にに非ず。」(イスラエル人が言うと、なおさら重い)と、キビシ~い一言:「確かに日本に帰っても、孤独かもしれません。」と答えた美苗に、さらに研ぎ澄まされたご返答:「孤独こそ、ものを書く人間の条件なり。」ひえ~、まるで禅問答のようだわ。でも、そのとおり!これまでにもここで、谷川俊太郎氏の「集合的無意識」や、長谷川櫂氏の「孤心とうたげ」について語ってきましたが、昇華させるまでに私が孤独と向き合えるようになるのは、いつになることやら・・・

そして大トリは、「ヨーロッパの知性そのもの」と形容される(どんだけ凄い人なん!?)大教授”Big Mac”(マクドの商品ではない)。日本語で小説を書きたいが、「カリフォルニアの日系人のようにアメリカに根をおろし、英語で物書きになろうとしていた人生の方がよかったのではないか?」(カズオ・イシグロの加州版?)と迷う美苗を、「ナンセンス!」と跳ね除ける。(あっぱれ!)「そうしたら君が君でなくなってしまう。」ふ~む、私が私である表現方法って何だろう。この本を読んで、また少し明確になってきたかも。さらに、Big Macは翻訳者でもあり、「言語の本質にある、他の言語に還元できない固有性を慈しんで」おられたそうです。そうそう、「こっちの言葉じゃなきゃ、しっくりこない!」ってのがあるから、ちゃんぽんしちゃうんですよね。「英語と日本語、どちらが話し易い?」と訊かれても、「場合によりけり」としか言えませんもん。「本妻も愛人も、それぞれ良さがあって、捨て難いんだよな~」みたいな?いや、たとえが悪くてすんません。でも、あくまで日本語が妻ですからっ!

とにかく、良い教師の素質というのは万国共通ですよね。そりゃあ、教えるスタイルや教育哲学にはお国柄が表れるけど、人柄や熱意や誠意はそれらの違いをも超える。これは、どの職業についても言えるのでしょうけれど。

VI.家族の妙

もう一つ万国共通なのは、家族との確執。こちらも、たっぷりと見せてくれますよ~。奈苗と美苗の関係は離れたくても離れられない「腐れ縁」って感じなんですけど、腐っている部分だけではなく、新たな気づきや発展もある。二人が同じ○○を見ていたことが初めて分かったくだりでは、なんかホロリときちゃいましたよ。そして終盤では、互いを思いやり、二人で大泣きし、これまでの人生を肯定して終わる―その先は描かれていないけれど、この姉妹それぞれ何とかやっていけるだろう、と思えました。(ごめんなさい、ネタバレて。)まぁ、兄弟姉妹がいるって、やっぱり悪くないですよねえ。

そして古今現在、どこでも見られる母VS娘のバトル!性格的に奈苗は母親はガチンコ対決しちゃうタチで、対照的なオリコーさん・美苗は冷静に分析。子どもの頃は芸術的才のある奈苗の影となり放っとかれた感のある美苗は、大人になると母親に頼られるようになり、反対に大人になっても頼りない奈苗は放っとかれるようになっちゃうんです。ああ、無情。この母親が美・苗・だ・けに宛てて書いた手紙を読んで、「何て勝手な母親なんだ!」って、私は腹立ちましたよ。(ここも私は奈苗寄りだな)美苗は「血のつながるものへの嫌悪と愛情と罪の意識」が入り混じったものを感じたようですが、それでも冷静に対処しています。それにしても、このお母様も自由奔放な方でね~。手紙の中でも「いつか生い立ちの記を書きたい」と記しているのですが、実際に「高台にある家」という本を出されています。親子二代で自伝を出しているなんて、やっぱり血は争えんわ。彼女の自由奔放さは奈苗に受け継がれ、記述欲求は美苗に受け継がれていったように見えますし。(でも、私の記述欲求は、いったいどこから来たんでしょうかね?)

また、日本の駐在員の息子と娘の育て方の違いにも、「そうだったのか!」と思わずポンと膝打ちしそうでした。「滞在がのびれば、息子は適当なところで日本に帰し、日本の大学にやる。男は日本の社会の成員になる必要があったからである。その代わり娘は手元に置いて外国の大学にやる。いづれ日本の男と結婚させればよかったからである。帰国子女と呼ばれるのに女の多い所以であった。」とな。まぁ、時代の違いもあるでしょうけどね。さらに帰国子女育て論は続きます―「娘はいくら外国で育てられるといっても、日本の男―日本の社会に受け入れられるよう育てなければならなかった。娘がペラペラ英語を喋ると言っては犬が芸当でもしたように相好をくずす親でも、その程度のことは心得ていたのである。」いやぁ、犬が芸当って、奈苗さん(笑)。しかし、「その程度」のことを心得ていなかったのか水村夫妻、「娘の未来の夫には当然のように日本の男を想定していたくせに、娘がいつとはなしに日本の規範から逸脱していくのに、良くいえば寛容、悪くいえば鈍感だった」らしく、三十代の娘二人は売れ残ってしまってる。(人のこと言えませんけどね(苦笑))私もその辺りに鈍感だったらしく、今じゃどこの国の人で何色の人と結婚するのか、皆目検討つきませ~ん。アメリカ人でも日本人でも、しっくりこないのでは?と悩みます。最近、私のクラスの日系人やハーフの子どもたちにアンケートをしたんですが、「将来は何人(なにじん)と、結婚すると思いますか?」との問いに「いい人」と答えていた子がいましたっけ。うん、いいぞ!私もシンプルに行こうっと♪

VII.美苗のその後

[この本を読んでから、一ヶ月以上「しレラ」について書き溜めて参りましたが、書く程に書きたいことが出てきてしまう。他にも、「持つべきものは友」「しレラちゃんぽん分析」「使われなかった人生を想って」「芸術家が陽の目を浴びるまで」など、「しレラ」関連ネタを書き続けたい私ではありますが、それでは今年中にブログに載せることができそうにないため、「美苗のその後」で一旦打ち切りたいと思います。(ここまで読んできた方、ホッとしました?)まぁ、気が向いたら、続きも書きますよ。(「アンダーグラウンド」の感想の続きさえ書いてませんが・・・)

この「私小説」の中で「日本語で小説を書きたい」との想いを姉と親友に打ち明けた美苗でしたが、実際に帰国後に「続 明暗」「私小説 from left to right」「本格小説」と水島美苗の名で本を出版し、高い評価を得、様々な賞を獲っています。奈苗に「漱石みたいにだって書ける」と言い放って呆れられた美苗でしたが、本当に漱石の「明暗」の続編「続 明暗」を書いた水村氏、ただもんじゃない!処女作に大文豪による小説の続編を書くなんて、すんごい度胸&才能ですよね。しかも、その執筆目的が漱石のように書くこと以上に、漱石より面白く書くことだったというから、驚くじゃありませんか。NYのアパートでグズグズしていた大学院生と同一人物とは思えません!(まぁ、小説的脚色はあったでしょうけれど。)

と、すっかり水村美苗氏その人にもハマった私、興味深いインタビューを見つけました!その彼女の言葉の中に、悶々としていたモラトリアム大学院時代の美苗と作家・水村美苗氏を繋ぐ軌跡が見えたのです。「私は作家になったのが遅く、だらだらと無駄な人生を歩んできた、小説の執筆に役立たない捨て札ばかりの人生を歩んできた、とずっとそう思っていたんです。それが『本格小説』を書いているうちに、捨て札があれよあれよとすべて生き札となったの。大変な歓びがありました。」捨て札が生き札となる瞬間って、あるんですね~。(「人生は、振り返って初めて、点と点のつながりが見えてくるものだ」とスティーブ・ジョブスも言ってます。)人生、無駄なことってないのかも。そう思えただけで、この本を読んで水村氏に出会えた価値がありました。あなたが捨て札だと思っていた札だって、いつか活きる日が来るかも!?

おわりに

書評というより、水村姉妹のアメリカ体験談と私のアメリカ体験談の比較みたいになってしまいましたね。しかも、私の話の方が長かったりして。(なんで、タイトルも後でこっそり変えました。)そうか、私もこの姉妹の会話に入れて欲しかったのかもしれない。こんな話を、誰かととことん、したかったのかもしれない。その代わりに、延々と独り言をブログに垂れ流してしまい、すみませんでした。でも、この本のおかげで、固まっていたこのブログの空気も流れ出した。窓、開けられました。・・・美苗さん、ありがとう。待っていてくれたあなたにも、ありがとう。そして、私にしかない人生と札を与えてくれた神様、ありがとう。

Advertisements

One thought on “「私小説 from Left to Right」から読み解く私生活 from East to West

  1. 「しレラ」を読む前にまず感想を読みたくて検索したらこの記事を見つけました。私はポルトガルと日本のハーフで、カナダ出身です。カナダ、日本、ポルトガル、カナダという順に4年ごと引越ししました。現在は関西外大で9ヶ月間留学しています。3年前ぐらいに母が「アメリカに住んでいる日本人作家の本が賞を取った」と言ったのを聞き流しました。もっと日本語が読めるようになって小説を読むようになったら、これを思い出して興味がわきました。

    前木久さんの解釈を読めてよかったです。私の母語は日本語でカナダ出身なのに13歳になって帰国するまで英語できませんでした。前木久さんと水村さんの経験の違いを見てみると私は水村さんのように「連れて来られた」的被害者意識があってポルトガル語を2言語目として得た後に英語はもう被害意識を深めました。私は一人っ子なので兄弟姉妹がいるのは悪くないというのは同感です。同じようなことを経験する人がいることは心強いと思います。ナルシストに思えてしまうのですが、別に作家になりたくもないのに私もいつか私小説を書きたいと思うんですよね。こんな人生を生きてきて水村さんが「しレラ」を書いて達成感を味わえるようなことが欲しいです。もしして私も前木久さんが言うようにこんな話をしたいだけで、気がすむまで話たら私小説なんか書く要求はなくなるかもしれないですね。

    この記事を読んで「しレラ」を読むのに抵抗ができてしまったけど、近いうち読む予定です。もっと「しレラ」についてブログ書いてください!

    Like

コメントをどうぞ。

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s