「聖書と村上春樹と魂の世界」を読んで感じた「私と聖書とその他の世界」

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今回の日本での一時帰国では、結構イイ本をたくさん手に入れたんですが、その中でも今の自分にドンピシャだったのが、これです。「聖書と村上春樹と魂の世界」あまりに気に入ったので、人にあげて、もう1冊自分に買いました。最近ぼんやり思っていたことが、はっきりと説明されていて、「そうそう、そう思ってたのよ!」っていうのと、自覚してなかった最近の自分の傾向が「なるほど、そういうことだったのか!」とわかる、目からウロコの1冊でした。

このブログでもかなり引用しているのでバレバレかもしれませんが、私はけっこうハルキストなのかもしれないですね。こっぱずかしくて認めたくないんですけど。なんか文章はキザだし、読後感が微妙なこともあって、「ノルウェイの森」から入った頃は、そんなに好きではなかったのですが。「やがて哀しい外国語」などのエッセー、「神の子たちはみな踊る」などの短編集、そして「アンダーグラウンド」を読んだ辺りから、ハマってきた気がします。「海辺のカフカ」はツボでしたし。しかし、とっても保守的なクリスチャン高校に行っていたせいか、本当に起こったことを書いていないフィクションを読むのは悪、みたいな意識がどこかにあるんですよ、私には。キリスト教と村上春樹の小説は相容れないもの、みたいな(実際、この対談を載せた「リバイバル・ジャパン」誌には、批判的なコメントも寄せられ、購読をやめた人もいるという)。でも、聖書は読めなくても、彼の小説は読める、って日もあるんですよね(それもどうかと思うけど)。そんな罪悪感というか違和感を、この本は払拭してくれたのでした。

この本はクリスチャンであり、そしてハルキストである3人の対談、そして連筆のかたちをとっています。特に語られているのが、「福音は命題化された信条だけでなく、物語(ナラティブ)を通して、より深く語られる」ということ。ちょうど最近、礼拝の説教というのは「命題化されたテーマを中心にしたもの」か「聖書の物語を掘り下げたもの」の二つに大きく分けられるな、って思ってたんですよ~。前者は、聖書のあっちこっちを引かなきゃいけないタイプで、後者は同じところをずーっと開けていればいいタイプかな、ざっくり言うと(前者タイプの説教は眠い時にキツい←悪い信者だな)。かくいう私は、前者タイプの説教をすることが多いんですが、聴くほうとしてはこのタイプばっかり聞くと、何か腑に落ちないところが出てくるというか、疲れるんですよね、なんとなく。物語を紐解く説教の方が、聴きやすい。それは、自分が霊的になまぬる~いからかな、なんて思ってたんですけど、この本を読んでたら、そうでもないんだ、と(まぁ、なまぬるいには、なまぬるいんですが)。つまり、近年のプロテスタントは、福音を概念化し、記号化し、表層の世界に固定化してしまったが、物語としての福音はその下の無意識の世界にも届いて人の魂を癒す、のだそうだ。確かに栄養分だってサプリばかり飲むより、ちゃんと食べ物でとるほうが、いいもんな。

確かに、著書「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」でも、村上氏は「物語が人を癒す」ことについて、語っていました(これもかなり面白い本で、読んでいた時は、すごくブログで書きたいことが頭の中を渦巻いていたんですが、もう熱は冷めてしまった・・・)。「ノルウェイの森」を読む前に、この話の概要を読んだことがあるのですが、「なにそれ!?」って感じでしたし。要約しちゃうと、失われるものってありますからね。物語には、物語という形式でなければ、伝わらないものがある」と「物語の役割」の小川洋子氏も言ってます(最近、読んでいるこの本とも、いろいろな部分がカブってる)。私達の人生もつまりは一つの長い物語なんで、物語という形式には私達の心に深くシンクロする力があるんじゃないかな。

それから、村上春樹の小説のエンディングには未完成性がある、というのにも激しく同意です。私も初めて読んだ「ノルウェイの森」の終わり方には、大いに不服でしたし。でも、うろ覚えなんですが、村上氏が「私にとって小説を書く作業とは、一つの疑問を新たな疑問に移し替える作業に過ぎない」と何かに書いていていて、そういうことならああいう結末もありかな、と思ったんですよね。例えば、私は教会で証をする時に、自分の人生の一部を切り取って、起承転結的に当てはめて、霊的にオチつけてシェアするんですけど、実際には人生は続いていくわけなんで、後で「あの区切り方は間違ってたな~。あの時『結』だと思ったとこは、まだ『承』だったわ!」みたいなこともあるんですよね。この本の中でも、「村上春樹の小説が未完成性を残しながら次の小説で発展していくように、私達も自分の物語も書き換えていい。全体像としての結論がわからなくても、必要なことはその都度、神様に教えられる。むしろ、一度出来上がった物語にしがみつくほうが危ない」みたいなことが書かれています。聖書も66の本が集まって、何百もの物語が連なって書かれていますしね。ある説教者が教えてくださったのですが、聖書の物語を読む時は、そのエピソード一つ一つの意味やメッセージを汲み取るだけじゃなくて、それぞれの物語の前後関係や並び方を考えると、新たな意味が浮かび上がってくる、ということでした。やっぱ深いわ、聖書って。「聖書は一つの流れを持っているが、数えきれないほどの扉がついている。どの扉を開けるかで、どのような物語に出会うのか、人によって異なってくる。聖書には、人として体験するすべての物語が含まれている。その物語によって自分自身が取り扱われる世界へ行ってみましょう」ということで、命題で区切らずに、川の流れのような聖書物語のあっちこっちに浸ってみるような読み方もなんか良さそう。

まぁ、私は高校から大学生の頃は、物語よりも、パウロの手紙とか箴言とか、「○○とは、○○である」みたいな定義が多い箇所の方が、わかりやすくて好きだったんですけどね。信条にしても、ライフスタイルにしても、白黒ついてるほうがフォローしやすいし、説明しやすいじゃないですか。それに、裁きやすいってのもあるか(こわっ)。この本にはこんな風に書いてありました.「教会では、聖書から教理的な枠を作り上げて、それに従っていれば良いクリスチャンになれると教えています・・・けれども、枠にはめられない部分やモヤモヤ感を無視していると、切り捨ててきた深層の自分と、表側の自分に限界が来る時に、心の全体性を取り戻そうとする魂の欲求が起こります。」っていうか、私にも起きてるな。ホントに「信仰による義」だけで生きていたら、無理に自分を枠にハメるような変わり方ではなくて、内側から全人的に聖霊に変えられるから、そんな分裂は起こらないんだろうけど、「行いによる義」的思考で変わろうとしたり、教会の人の目を気にしたり、自己満足のためとかで、枠にはまった生き方をしてしまうんですよね(はぁ~)。これまでの窮屈な生き方を続けるのも本質的な問題解決にならないし、かといって押さえてきた自分を暴走させるのも危険なので、時間をかけて焦らずに第三の道を模索するしかないらしい。いや、その両方の自分と正直にがっつり向き合ってると、いずれ第三の道が降ってくるらしい。で、村上春樹の小説世界では、そのような深層に隠された自分は、投映された異性像として登場し、主人公に揺さぶりをかけつつ、様々な出来事を通しながら主人公の魂の中で内面化し、統合されるらしい。ふむふむ。確かに異性は重要な使者だったりしますね。とにかく、両方の自分の面を認めて、神様と一緒に時間をかけて、統合するのが第三の道だそうな。統合といっても、分裂する前の自分に戻るということではなく、新たな福音の肉体化を図るということでしょうね。最近、読んだ別の本のキーワードでもあったな、「福音の肉体化」(何の本か忘れたけど)。あ~、頭ではわかるけど、かなり面倒くさそうですね。でもこれまで腑に落ちない部分を先送りにしていたツケがまわってきたわけだから、がっつり取り組んでいくとしましょう・・・

思うに、自分は「聖書的生き方」と「その他的生き方」、あるいは「聖書的読み物」と「その他的読み物」みたいにいろんな事を単純に二分化していて、聖書的な方は神様の前や教会で安心して出していけるけど、そうじゃない方はなかなか神様にも人にも晒せない、という矛盾があるようです。あまりクリスチャン的でない自分だと祈れなくなったり。でも、本当に「そうじゃない」のかなんて、神様に全て晒さないとわからないんですよね。それに、村上春樹だってこんな風に聖書的に読めるなら、もっと意外なところにも聖書的な教訓が隠されているかもしれない。逆に自分が「聖書的」と思っていたほうが、実はクライスト・ライクな精神に基づいていないかもしれない。自分で勝手に振り分けるより、もっと神様にお任せしたほうが、無理がないのかもしれない・・・そんなことを考えている自分も、ここでちょっと晒してみました・・・本当にこれまでの考え方でいいのか、腑に落ちないところもしっかり認めながら、信仰の再構築をしたいなぁ~、と思う今日この頃なのです。

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