「聖書と村上春樹と魂の世界」を読んで感じた「私と聖書とその他の世界」

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今回の日本での一時帰国では、結構イイ本をたくさん手に入れたんですが、その中でも今の自分にドンピシャだったのが、これです。「聖書と村上春樹と魂の世界」あまりに気に入ったので、人にあげて、もう1冊自分に買いました。最近ぼんやり思っていたことが、はっきりと説明されていて、「そうそう、そう思ってたのよ!」っていうのと、自覚してなかった最近の自分の傾向が「なるほど、そういうことだったのか!」とわかる、目からウロコの1冊でした。

このブログでもかなり引用しているのでバレバレかもしれませんが、私はけっこうハルキストなのかもしれないですね。こっぱずかしくて認めたくないんですけど。なんか文章はキザだし、読後感が微妙なこともあって、「ノルウェイの森」から入った頃は、そんなに好きではなかったのですが。「やがて哀しい外国語」などのエッセー、「神の子たちはみな踊る」などの短編集、そして「アンダーグラウンド」を読んだ辺りから、ハマってきた気がします。「海辺のカフカ」はツボでしたし。しかし、とっても保守的なクリスチャン高校に行っていたせいか、本当に起こったことを書いていないフィクションを読むのは悪、みたいな意識がどこかにあるんですよ、私には。キリスト教と村上春樹の小説は相容れないもの、みたいな(実際、この対談を載せた「リバイバル・ジャパン」誌には、批判的なコメントも寄せられ、購読をやめた人もいるという)。でも、聖書は読めなくても、彼の小説は読める、って日もあるんですよね(それもどうかと思うけど)。そんな罪悪感というか違和感を、この本は払拭してくれたのでした。

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「私小説 from Left to Right」から読み解く私生活 from East to West

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最近、バイリンガルやクロスカルチャーに関する児童書や文学にハマっておりまして、そこで日本初の横書き日英バイリンガル小説「私小説 from Left to Right」(水村美苗著)に出会いました。冒頭の頁から、いきなり英語ONLYの横文字世界。でも、あとはこちらにはらり、あちらにはらり、と軽いぼた雪くらいにしか英語は現れませんので大丈夫、中学生程度の英語でも読めるそうですよ。(結構、日本の中学英語って、読解の役には立つんです。)大学院時代、コードスイッチング(二言語以上の言葉を混ぜ合わせて使うこと、いわゆる「ちゃんぽん語」)のリサーチをしていたこともあり、(このブログでも取り上げてましたね)「こんなちゃんぽん小説があるなんて!」と軽くノボせてしまいました。(お風呂で読んでいたせいもある?)対訳付きのバイリンガル本なら結構ありますが、一つの思考の流れが日本語になったり英語になったりしている本ってのは珍しいです。(日本の歌謡曲にはありがちだけど)私の思考言語もちゃんぽん気味なので、こういう文章は自然に脳に染みる感あり。と言うわけで、ページをめくるごとに、いやおうなしに期待が高まっちゃいました!

さて、「言語と文化は切り離せない」とよく言われるように、この小説世界でも、ちゃんぽんなのは言葉だけではなく、文化もまた然り、でした。アメリカで十代から三十代までを過ごした日本人女性の半生記、私が共感できる部分が非常に多かったです。どんな内容かといいますと・・・「私小説」をleft to rightに綴る主人公・水村美苗(著者と同姓同名)は、十二歳の時に家族と渡米し、二十年間アメリカに住みながらもアメリカ人になりきれず、さりとて「モロジャパ」にもなれない大学院生。旧き良き日本に憧れ続け、日米どちらの現実社会にも踏み出せずに、モラトリアムに甘んじている。具体的に言えば、口答試験を先延ばしにし続け、大学町に住みながらキャンパスをも避け、アパートで引きこもり生活を送っている。加えて同棲していたモロジャパな「殿」にも去られたばかりで、篭る一人暮らしのアパートの空気の重いこと、重いこと。でも、この感じ、少しわかります。空気って、体や心を動かしていないと固まって、どんどん身動きが取れなくなるんですよね・・・。孤独ってある意味、自己責任なのかも。

そんな美苗よりも、もっと危なっかしいのは、二歳年上の姉・奈苗。見た目と振る舞いは、基本アメリカナイズされた上、インターナショナルな男性暦を経て、国籍不明の体を晒しています。彫刻家なれど彫刻だけでは食えず、バイトで食い繋ぐ生活。マンハッタンのSoHoのロフトに猫二匹と住んでいる、と言えばオシャレな感じもしますが、呑んだくれ無職DV男と同棲し、妹・美苗に電話でグチる毎日。面の皮厚いようで、泣き虫。自由奔放なようで、繊細。気さくそうで、ソノビッシュ。ミーハーなようで、保守的。日本人らしくないのに、日本に拘る。とまぁ、面白い人です。この姉妹、かなり両極端なんですが、どちらも私と似ているところがあるなぁ・・・

この小説の殆どは、姉妹にとって「渡米二十周年記念日」となった或る一日の間に交わされた、二人の“only you know what I mean”的日英ちゃんぽん長電話会話で占められています。数回の通話の合間に美苗の一人称の語りが挟まれて、二人の現状や過去が浮かび上がっていく、という構成。渡米記念日ということも手伝ってか、二人は感慨深げに日本での幼少時代の思い出や、互いのアメリカ順応(もしくは非順応)の歴史を語り合います。終盤に重い空気が入れ替わるようなカタルシスがあるといえばありますが、筋らしい筋はあらず、話を区切る章もない、不思議な本です。でも、私は筋で引っ張るプロット先行型の小説より、キャラやテーマ、または描写や表現で読ませる小説の方が好みなので、問題なし。キャラ的にも背景的にも共感度は高かったし、テーマはド真ん中に好みだったし、随所に「上手いな~」と思わせる文章があったし、字ズラに拘っているところも、詩的で素敵。ってなわけでワタシ的には、かなりハマりました。湯船のお湯が冷めても、読みふけっちゃったほど。

長~い前置きになってしまいましたが、いよいよ「私小説 from left to right」、略して「しレラ」(←略し過ぎ)に、様々な角度から切り込んでみたいと思います!(ネタバレを避けたい方は、ここまでにした方がいいかもしれません)(というより、ここまで読んでくださった奇特なあなた、ありがとうございます。覚悟あらば、ここからもご一緒しませう。)
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瞼に太陽

あともう少しで今学期も終わりです!今は学期末恒例のレポート書きに追われておりますが、ブログネタ帳(←実は存在しています!)には、どんどんネタが書き込まれていますので、新しい葉やコメント返しは、後もう少しだけお待ち下さいませ。。。

本日は先ほど気分転換に太陽の光を瞼に浴びて、思い出した文章の引用にて終わらせて頂きます。(省エネ投稿で、すみません。)

「太陽がフロント・グラスから射しこんで、私を光の中に包んでいた。
目を閉じるとその光が私の瞼をあたためているのが感じられた。
太陽の光が長い道のりを辿ってこのささやかな惑星に到着し、
その力の一端を使って私の瞼をあたためてくれていることを思うと、
私は不思議な感動に打たれた。
宇宙の摂理は私の瞼ひとつないがしろにしてはいないのだ。」
(村上春樹著:世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド)

なんかちょっと、瞼に届く日の光の有難みが増す感じ。。。じゃないですか?前回のエントリーで小さな目の面積が受送するメッセージについて書いてましたが、閉じた瞼に届くメッセージっていうのも、あるんですねぇ。ちょっと幸せ。

あなたとわたしのアンダーグラウンド(1)

期末が近づいているというのに、本が私を呼んでいるので困ります。去年の夏に買って、「分厚いから時間のあるときに読も。」と思っていたのに、最近手をつけちゃったんですよ。あらら、そしたら毎日読むのが習慣になってしまった・・・そしてついに一昨日読み終わりました!(これで勉強に専念できる?)11年前に起こった地下鉄サリン事件の被害者の方へのインタビューをもとに書かれたノンフィクション「アンダーグラウンド」。色々と考えさせられた作品でした。

1995年3月20日といえば、私がまだカルフォルニアで大学生の頃。この地下鉄サリン事件に限らず、日本のニュースをテレビやインターネットなどで目にすることもなく、家族に電話で教えてもらっていた時代でした。今は自分でネットから情報収集していますが、それでも海外で記事を読むだけなのと、実際にリアルタイムでその社会の中に生きながらニュースを知るのとは全く違うことをよく感じます。このオウム関連の事件に関して言えば、アメリカでもメジャーな雑誌に取り上げられていたし、友達にも質問されたのを覚えています。それから日本のクリスチャンの知り合いが「伝道がしにくくなった・・・」とぼやいていたのも。(やっぱり宗教アレルギーの人が増えましたものね。)しかし、「ひどい事が起こったものだ!」とは憤慨はしたものの、本当は何が起こったのか、それが何を意味していたのか、そしてそれが自分とどう関連があるのか、そこまで考えてはいなかったし、事件の重みを肌身に感じていなかったのです、当時の私は。
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翻訳の神様、どこ?

前回の「靴下効果=温泉効果!?」に、翻訳についてのこんなコメントがついておりました。

「村上春樹はこっちでも翻訳されて高い評価を受けてるよねえ。英語が母国語の人が読んでも、同じように彼の紡ぎ出す物語の倍音が体に残っていくんだろうか。その辺、翻訳の巧みさにもよるんだろうけど。翻訳でもある意味ルーブリックが通じないとこあるよね。意味を完璧に訳して、文法も流れもスムーズにまとめられていても、なんだか心に残らない。原文の魅力が伝わらないことがある。ふと思ったけど、聖書ってとんでもなく翻訳が難しい書物かもね。」

前にもちょっと触れましたけど、私のアメリカ人の友達で大学教授に熱く勧められたのをきっかけにハルキストになった人がいます。それで私も彼女から英語訳を借りて読んだりしましたが、結構雰囲気は残っているものですね。原文と並べて綿密に比べたわけじゃなく、あくまで前に日本語で読んだ時の読後感と英語で読んだ時のそれの色と密度が等しく感じただけですけど。ところで、村上春樹ときて翻訳といえば、「翻訳夜話」という本が絶対的に面白い!数年前に父に買ってもらい、プロの翻訳・通訳をしていたN子ちゃんに貸して、N子ちゃんからは「神の子どもたちはみな踊る」を貰って・・・(すいません、内輪ネタです。)そうですね、技術的な面についても言及はあるけれど、それより翻訳という作業のメンタルな部分についてパブリックに、そしてパーソナルに村上氏と柴田元幸氏が深く楽しく語り合っていて、とても興味深い本でした。
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